ふるさと散歩

ページID1001448  更新日 平成30年9月27日

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イラスト:有田市イメージマップ

初島

古くは椒村といい、昭和28年1月1日以来、町制を施行して初島町と改めました。椒村の名が初めて現れる文献は「日本霊異記」であり、平安時代の初めの弘仁年間(810年~823年)となっています。初島は古来「浦の初島」といわれ、和歌の名所として知られています。

港・箕島

有田川の堤防上に出来た街と河口港を兼ねた商業と交通を業とする人々の集まりとして、発達したものと思われます。紀伊国続風土記によれば田辺別当湛全の弟宮崎定範が嘉応元年(1169年)に野村に城を構えたのに始まり、港、箕島は農業、商業の中心地となり、海運がとみに盛んで、箕島(宮崎)陶器商人の活躍は特筆すべきものでした。今は有田市の中心地となって、栄えています。

宮崎

有田川河口南部の海岸は辰ヶ浜、男浦、女ノ浦、を経て、宮崎ノ鼻に至ります。北に面する地区は波静かで漁業の基地として発達し、矢櫃、逢井、高田の集落がある宮崎ノ鼻付近から湯浅湾に面する海岸は趣があり、港からも海からも波の浸食による珍しい景観が楽しめます。

保田

古くは「須佐郷保田荘」といい、中世に豪族貴志氏の所領となり、明治の廃藩置県では辻堂村、千田村となったが後に保田村となりました。早くから良質のみかん産地として栄え、これによる経済力が更に除虫菊の栽培や加工に結びつきました。

宮原

宮原地区の発祥は非常に古いといわれており、弥生時代の土器が東村で出土しています。古くは安諦郡荒田村といい、平安の昔より、熊野への往還の路として賑わった街道沿いにあり、今も当時の名残を感じるところがあります。みかん産地として栄えています。

糸我

糸我は、東から南西にかけて三方丘陵に囲まれ、北は東西に有田川が流れ、現在550余戸の平和な里です。この糸我の里も、既に弥生時代から古代人が生活していました。これは地蔵堂並びに西之宮の丘陵地から弥生式の土器や勾玉が出土していることによって証明されています。奈良時代に入り、熊野三山参詣道として利用された熊野古道が中央を南北に走っています。また、有田みかん発祥の地として早くから世に知られています。

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