西法寺

ページID1001465  更新日 平成30年9月27日

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新町の西法寺山の麓にあり、阿弥陀如来を祭っています。もと「西法寺」と言われ、天保6年(1835年)吉田秋久が開基創建されました。秋久が慕った徳本上人の遺物を多く所蔵しています。徳本上人直筆の名号、置手紙のほか、着用の袈裟等は市指定文化財となっています。

徳本上人

宝暦8年(1758年)6月日高郡志賀荘久志村(日高町)で生まれ、幼名を三之丞とよび、浄土宗の念仏行者で近畿から遠く関東、信越地方まで廻っています。幼い頃から念仏を唱えるようになり、両親に出家を請うたが許されず、三之丞はくじけることなく念仏の道に励み、25歳の時財部村(御坊市)の往生寺大円和尚に五重相伝を受けました。27歳で剃髪出家、徳本と称して念仏修行に励み、その後、大滝川、千津川で7年間水行を行い、寛政3年(1791年)内原の萩原に移り行脚修行、寛政5年(1793年)下津町塩津に、又翌年京都に上り、法然の跡を巡り、熊野に参り、塩津にもどる。寛政6年(1794年)36歳のとき、吉野へ上ると言って塩津を去る。現定、鸞州の2弟子、本妙本勇の女性信者を連れ、須谷に留まり、8年間修行されこの間に千日練行を行いました。享和元年(1801年)43歳の時、7月23日1人ひそかに須谷を出て、摂津住吉勝尾寺の草庵で念仏修行を積みながら民衆を教え導き、紀州藩主治宝に御対面の折、庵を建てるからと紀州へ帰る様すすめられたが遂に帰らなかった。又、教えは士農工商を問わず各方面に大きな影響を与え、独特な丸みのある「南無阿弥陀仏」の6字の名号碑が全国に1,000基近くあります。文化14年(1817年)江戸小石川一行院を道場に定め、仁孝天皇に授戒をささげました。文政元年(1818年)10月6日一行院において法弟たちにかこまれ、61歳で入寂されました。

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