明恵上人星尾遺跡

ページID1001459  更新日 平成30年9月27日

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写真:明恵上人星尾遺跡

星尾の神光寺へ行く少し手前の小高いところにあります。

明恵上人は有田の偉大な先賢というよりも、むしろ日本における屈指の高僧として広く知られています。明恵は仮号で名を高弁といい、承安3年(1173年)正月、高倉院の武者 所平重国を父とし、湯浅権守宗重の第4女を母として、金屋町歓喜寺で生れました。この星尾遺跡は上人が叔父保田宗光の邸に滞在中の建仁3年(1203年)31才の時春日明神の託宣を受けたところです。高弟喜海が嘉禎2年(1236年)8月「華厳経」の八会にちなんでこれを定め、11月、卒塔婆を建てたもので、上人の紀州八所遺跡の一つ(歓喜寺、西白上、東白上、筏立、糸野、神谷、崎山、星尾)で、国指定史跡になっています。初め木造の卒塔婆を建てたが康永3年(1344年)に弁迂が一族を勘進して石材に改造されました。塔身は(梵字)法恵菩薩、建仁3年発亥正月29日春日大明神御託宣之処その他の銘記があります。

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