みかん資料館

ページID1001452  更新日 平成30年9月27日

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有田市みかん資料館 施設の概要

有田市の全景を空から一望できるパノラマ

写真:有田市の全景を空から一望できるパノラマ

立体模型による有田ミカンの生産の様子

写真:立体模型による有田ミカンの生産の様子

世界のオレンジと日本の柑橘紹介パネル

写真:世界のオレンジと日本の柑橘紹介パネル

ビデオシステムによる映像展示

写真:ビデオシステムによる映像展示

立体模型による江戸時代のミカン出荷の様子

写真:立体模型による江戸時代のミカン出荷の様子

江戸積のみかん船と紀文伝の展示

写真:江戸積のみかん船と紀文伝の展示

みかんの歴史

1429~40年
糸我荘に自生の橘があったと記録されている。(糸鹿社由緒書)
1521~27年
接木が始まり蜜柑の木が殖やし育てられる。
1574年
伊藤孫右衛門が肥後八代より蜜柑の苗木を持ち帰ったと伝えられる。(紀州蜜柑伝来記)
1601年
有田郡で蜜柑が栽培されていたことが記されている。(須谷村検地帳)
1597~1614年
このころから大阪、堺、伏見へ初めて蜜柑を積み出す。(紀州蜜柑伝来記)
1619年
堺の商人が紀州富田浦から250石積みの船を借り受け、江戸への海上交通を開く。
1632年
滝川原村の藤兵衛が初めて江戸に400寵の蜜柑を送ったと伝えられる。(紀州蜜柑伝来記)
1624~43年
蜜柑の出荷販売組織、蜜柑方が逐次生まれた。
1685年
紀伊国屋文左衛門が嵐をついて江戸に蜜柑を送ったと伝えられる。
1698年
紀州藩が「蜜柑御口銀」として蜜柑税を徴収。(紀州蜜柑伝来記)
1734年
中井甚兵衛「紀州蜜柑伝来記」を記す。
1813年
このころ有田郡で温州蜜柑の栽培が始まる。(紀州柑橘論)
1876年
金屋の片畑源左衛門、夏蜜柑を山口県萩より導入。
1887年
有田郡の上山英一郎が北米に蜜柑を輸出。
1897年
朝鮮へ蜜柑を輸出。
1913年
田殿村大谷に試験場完成、新進気鋭の農学士朝倉金彦氏を場長に迎える。
1958年
有田市千田東地区で全国のみかん園では初めてのスプリンクラーによる共同かん水が始まる。
1959年
蜜柑15Kgダンボール使用開始、LMSの呼称採用。

利用案内

開館時間

午前9時30分~午後5時00分(入館は午後4時30分まで)

休館日

毎週火曜及び年末年始

入館料

無料

交通

JR紀勢本線箕島駅から南へ徒歩5分

お問い合わせ

〒649-0304 和歌山県有田市箕島27(有田市文化福祉センター内)
電話:0737-82-3221 または 0737-82-3222

このページに関するお問い合わせ

経済建設部 産業振興課
〒649-0392 和歌山県有田市箕島50
電話:0737-22-3624(商工観光係)
電話:0737-22-3628(水産係)
ファクス:0737-83-3108
経済建設部 産業振興課へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。