岩室城跡

ページID1000920  更新日 平成30年10月1日

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前方に川を左右に沃野が展けて灌漑用水の便に適し、吉備、金屋、有田市の大部分が一望出来る、中世における重要な城塞の条件を満たす絶好の場所です。
岩室城の記録は遠く平安末期にさかのぼります。平家物語長門本によると、平重盛の末子丹後侍従平忠房が文治元年(1185年)屋島の戦いに敗れて湯浅の荘の地頭湯浅宗重のもとに身を隠していたが各地から平家の残党が集まり、500余人となった。これを聞いた源頼朝が阿波成長に命じ、1,000余騎をもって攻めさせたが湯浅氏は岩室の城に立籠り、激しい戦いが3ケ月も続いたといいます。
湯浅氏は中世における有田の強力な武士集団で、南北朝時代まで300年にわたって活躍した湯浅党のことです。その後足利氏の室町幕府が開かれ、応永7年(1400年)畠山基国が紀伊の守護となり、基国の弟満国が有田へ入国して、広、鳥屋城、宮原に居館を構えました。畠山氏がこの地に居たのは180年間でした。
現在の岩室城跡は、太平洋戦争の戦中戦後の食糧難時代に食料確保のため開墾し、甘藷や麦等を作り、その後はみかん畑となる等随分荒廃していたのを、平成元年宮原地区の有志で愛郷会を結成し、荒れ果て忘れられて行く文化財を再現して、郷土の歴史を知ってもらおうと会員の手で整備されつつあり、今では、本丸跡、二の丸跡を整備し、周辺の雑木を切り開いて桜、椿、紅葉、ツツジ等を植えたり城跡へ上がる道を補修し、駐車場を設ける等城跡周辺の環境整備がなされています。

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