明恵紀州遺跡率都婆

ページID1004347  更新日 令和5年2月17日

印刷大きな文字で印刷

明恵紀州遺跡率都婆について

 明恵上人没後4年の嘉禎2年(1236)に、弟子の喜海が有田郡市内の遺跡地8ヶ所を選んで率都婆を建立しました。喜海が書いた「明恵上人遺跡卒塔婆尊主銘注文」によると、率都婆は木製で「面広1尺1寸、厚九寸、眉間八尺、地上1丈、入地三尺、地上地下合長一丈三尺也」とあるので、かなり大きなものであったことが分かります。しかし喜海が建てた率都婆は木造だったため朽損し、108年後の康永3年(1344)に比丘弁迂が一族を勧進し、石造としたものが現存する率都婆です。明恵上人紀州八所遺跡として名高いですが、現在のこっている建碑の場所は、率都婆が所在不明になっている崎山を除く7ヶ所で、昭和6年6月3日に史跡として国から指定されています。有田市では星尾に所在する率都婆が指定されています。

率都婆

星尾遺跡について

 この地は明恵上人(1173~1232)が、建仁三年(1203)、31歳の時、春日明神の託宣を受けたところです。お釈迦様を慕っていた上人が、滅後に生まれたことを悲しみ、せめてインドに渡り、その遺跡を巡拝したいと願っていたところ、春日明神から託宣を受け、インド渡航計画を思いとどまりました。
 星尾の率都婆には、梵字の下に蓮台が刻まれています。またその下に薄い段が作り出されています。明恵紀州遺跡率都婆の中で、ほかにそのようなものはなく、この地が特別な位置づけにあったと思われます。
 

率都婆拓本

石造率都婆の保存修理について

 石造率都婆が経年劣化で傷んだため、令和4年度に保存修理を行いました。率都婆は過去にも修理されており、最初の修理時期は不明ですが、昭和43年(1968)3月に2度目の修理が行われています。

率都婆搬出の様子

率都婆の台座

保存修理の様子

所在地

有田市星尾

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 文化福祉センター
〒649-0304 和歌山県有田市箕島27
電話:0737-82-3221(内線:0)
ファクス:0737-82-3311
教育委員会 文化福祉センターへのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。