稱名寺

ページID1003922  更新日 令和4年2月22日

印刷大きな文字で印刷

稱名寺の文化財

稱名寺は、永和元(1375)年、または二条天皇の御代(1158~1164年)に創建され、保田荘五カ村(千田・星尾・辻堂・山田原・中島)の本寺であったといわれ、保田城主貴志氏の菩提所となっていたという。現在の本堂は文化4(1807)年にこの地に移ったものである。

宝篋印塔 1基

高 137.0cm 永和2(1376)年

もとは南北朝期以降、保田荘地頭であった貴志氏の城館にあったものを、慶長年間(1596~1615年)に現在地に移したと伝えられるが、詳細は不明である。「永和二年丙辰十月十八日結衆等敬白」の銘が刻まれている。

来迎二十五菩薩立像 25躯

高 51.7~55.3cm 江戸時代中期

本堂内には雲に乗った二十五菩薩が、本尊阿弥陀立像の両脇から左右に、柱や天井に沿うように配置されている。彫刻によるものは全国的にも数が少なく貴重なものである。平成の修理の際に二十五菩薩の蓮台から、それぞれの菩薩名とともに願主名や享保5(1720)年の年号が書かれた墨書が見つかっている。

稱名寺本堂 1棟

桁行16.2m、梁間17.5m、入母屋造

向拝一間、背面張出付、本瓦葺、附 棟札 2枚

本堂は上質で大型の典型的な浄土宗本堂の形式をもち、細部に独特の構造を編み出し、大きな内部空間を造りだしている。絵様の様式と棟札から文化10(1813)年に上棟されたことが分かり。時代の標識となりうる遺構である。そのほか、紀州藩主徳川治宝の筆になる「護念山」の扁額を掲げており、天井には「龍図」、須弥壇の後壁には「仏画」が描かれている。これは小野寺梅邱が、昭和10(1935)年の修理の際に描いたものである。

所在地

有田市辻堂 稱名寺

備考

宝篋印塔     :昭和59年11月29日市指定

来迎二十五菩薩立像:昭和63年3月29日市指定

稱名寺本堂    :平成14年8月21日市指定

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 文化福祉センター
〒649-0304 和歌山県有田市箕島27
電話:0737-82-3221(内線:0)
ファクス:0737-82-3311
教育委員会 文化福祉センターへのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。