施設案内 有田市みかん資料館

ページID1000923  更新日 令和5年2月18日

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有田市みかん資料館の写真

概要

有田市文化福祉センター4階にある、有田みかんに関する資料を収集、展示する資料館。

所在地
〒649-0304 有田市箕島27(有田市文化福祉センター4階)
電話
0737-82-3221
ファクス
0737-82-3311
来館条件 段階的緩和について
入館時にはマスクを着用していただき、手指消毒を行ってください。体調がすぐれない方はご利用をお控えください。ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解とご協力をお願いします。
利用料金
無料
開館時間
9時30分~17時00分(最終入館16時30分)
休館日

水曜、年末年始等

駐車場
有料駐車場30台
交通アクセス
海南ICより車で約25分、有田ICより車で約20分
箕島駅より徒歩約4分

地図

有田市みかん資料館の地図

有田市みかん資料館内部の写真1

施設概要

有田市みかん資料館は、有田市文化福祉センターの4階にございます。
400余年の歴史と伝統を誇る本市みかん産業について、先人が残した貴重なみかん史や古文書等関係資料を収集展示し、柑橘栽培の歴史と現状を紹介しています。

有田みかんの歴史

室町時代

永享年間
1429年~1440年
糸我荘に自生の橘があったと記録されている。(糸鹿社由緒書)
大永年間
1521年~1527年
接木が始まり、蜜柑の木が殖やし育てられる。
1574年
伊藤孫右衛門が、肥後八代より蜜柑の苗木を持ち帰ったと伝えられる。(紀州蜜柑伝来記)

安土桃山時代

1601年
有田郡で蜜柑が栽培されていたことが記されている(須谷村検地帳)
慶長年間
1596年~1614年
このころから大阪、堺、伏見方面への蜜柑の積み出しが始まる(紀州蜜柑伝来記)

江戸時代

1619年
堺の商人が紀州富田浦から250石積みの船を借受け、江戸への海上交通を開く。
1632年
滝川原村の藤兵衛が初めて江戸に400籠の蜜柑を送ったと伝えられる(紀州蜜柑伝来記)
寛永年間
1624年~1643年
蜜柑の出荷販売組織、蜜柑方が逐次生まれる。
1685年
紀伊国屋文左衛門が嵐をついて江戸に蜜柑を送ったと伝えられる。
1698年
紀州藩が「蜜柑御口銀」として蜜柑税を徴収。(紀州蜜柑伝来記)
1734年
中井甚兵衛「紀州蜜柑伝来記」を記す。
1813年
この頃有田郡で温州蜜柑の栽培が始まる。(紀州蜜柑論)

明治時代

1876年
金屋の方畑源左衛門、夏蜜柑を山口県萩より導入。
1887年
有田郡の上山英一郎が北米に蜜柑を輸出。
1897年
朝鮮へ蜜柑を輸出。

大正時代

1913年
田殿村大谷に試験場完成、新進気鋭の農学士朝倉金彦氏を場長に迎える。

昭和時代

1958年
有田市千田東地区で全国の蜜柑園では初めてのスプリンクラーによる共同灌水が始まる。
1959年
蜜柑15kg段ボール使用開始、LMSの呼称採用。

みかん作りのこよみ

月の農作業
1月 防寒防風対策
土作り  土壌改良資材の投入。中耕、深耕をする。
2月 剪定  日当たりを良くする。木の状態を整える。良い果実をつけるため結果枝を作る。
3月 施肥  果実の肥大生育等を良くする。
4月 除草
発芽期
5月 開花期  白い花が咲く。
病害虫防除(開花期~9月頃)
6月  
7月 摘果(~9月)  毎年平均して良い果実が収穫できるように、果実のなり具合を丁寧に調べ、小さい実や傷のついた実を摘み取る。
8月 灌水(不定期)  日照りが続いた場合、スプリンクラーで散水します。
9月  
10月 施肥  実に養分を取られた樹勢を回復させ、翌年良い果実をつけるように肥料を与える。
11月 収穫(10月~12月)
12月  

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 文化福祉センター
〒649-0304 和歌山県有田市箕島27
電話:0737-82-3221(内線:0)
ファクス:0737-82-3311
教育委員会 文化福祉センターへのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。