有田市

市長からごあいさつ 【3月】

まちの誇り ~人~

 

 

 「行政は人なり」という言葉がよく使われます。昨今は目まぐるしく情報技術の発達した時代ではありますが、とはいえども社会を構成しているのは人であり、人と人とのコミュニケーションの上に社会が成り立っています。

 活力あふれる元気なまちづくりのため、アクティブに行動するにはそれを担う市職員の人材育成の必要性は言うまでもありません。しかし、市職員だけでまちの活性化を図ることは現実、不可能であり、日頃から「協働」をキーワードに各分野で市民の皆さん方のご協力を頂いていることに感謝申し上げます。

 さて先月号では「まちの誇り」をテーマとして「観光資源」を取り上げ、皆さん方にお伝えさせていただきましたが、今回はわがまちの財産とも言うべく「人」にスポットをあて、まちの誇りについて考えてみたいと思います。

 まちづくりを考える中で市民の皆さん方の生命と財産を守る観点から「防災」は最重点課題となっております。本市の歴史を遡ってみますと過去にも有田川の大洪水により大きな被害を受け、尊い命が奪われています。万治元年(1658年)、新堂地区の横堤が決壊した際、郡奉行の望月太左衛門氏が苦心の末修築、また寛政2年(1790年)の大洪水で須谷東の下流にある堤防が崩壊しましたが、当時の郡奉行、日根藤六氏は自ら陣頭指揮を執り、堤防を竣工されたことで今日の私たちの生活を守ってくれています。

 産業面では天正2年(1574年)伊藤孫右衛門氏が八代より蜜柑の小木をわがまちに持ち帰り、今日の日本一有田みかんの礎となっていますし、明治21年(1888年)上山英一郎氏は除虫菊栽培に成功、後に世界初の渦巻き蚊取り線香を発明したことでわがまちは蚊取り線香発祥の地として知られているのはあまりにも有名であります。

 文化・スポーツ面でも偉大な方々がおられますが、「箕島」という地名を全国津々浦々に轟かせた昭和54年(1974年)箕島高校硬式野球部甲子園大会春・夏連覇。当時、指揮官として偉業を成し遂げた尾藤公氏は「尾藤野球」として高校野球史に一時代を築き、勇退後は甲子園塾初代塾長として後進の指導並びに高校野球発展に寄与されました。

 また郷土の誇りとして市政発展に寄与された元市長の森川仙太氏、中谷良太郎氏、中本重夫氏には名誉市民の称号を贈呈しております。

 ここでは紹介しきれませんが、このように多くのわがまちが誇れる偉人がおられ、また現在各分野で活躍されている方々も多くいらっしゃいます。多くの偉人の意志を受け継ぎ、まちの誇りを胸に刻み込みながらそれぞれの立場で頑張り次世代へ「まちの誇り」を継承していくことが、今を生きる私たちに課せられた責務であると考えています。

 「温故知新」という言葉がございます。私自身、多くの偉人をたずね、そこから多くを学び、勇気を頂きながら今を考え、「誇り」を胸に「誇れるまち」の為に皆さん方と一緒に変革の時代に挑戦していかなければならないと考えています。  

 

有 田 市 長   望  月  良  男

                             

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